「おかあさんはぼくをコントロールしようとしている!」発言にショックを受け、宿題を本人任せにした一週間が終わった。結局、自分ではやらなかった。当たり前だけどね。昨夜、育英から帰ってすぐに、ティラノは父親の勧めに素直に応じて、宿題の中でもワークブックの類をやり始めた。トリケラは「ほら、ちゃんとやるじゃないか」というので、わたしは、「先週は(やらせるのが簡単な)ワークブックしかやらないでおいて、ティラノの抵抗が大きい”読書のちょきんカード”と音読をやらせていなかった。音読はとうとう一回もやらなかった」ことを訴えた。算数は本人に自信があるので、それほど嫌がらないのでいいのだが、文章を書くのと、漢字の反復練習、音読は何とか後回しにしようとするのだ。

トリケラは「音読させられている教科書の文章がつまらない。読書感想文はくだらないからやらなくていい」という意見。教科書の文章に魅力がないのはわたしも認める。『スイミー』や『くまの子ウーフ』などの楽しいお話もはいっているけど、これは音読させたい文章じゃないなと思うことも多い。ちょうど斎藤 孝氏著の”子ども版 声に出して読みたい日本語”のうち既刊の3冊が日本から届いたところ。教科書では物足りないときにはこういう本でもいいし、百人一首でもいいかなと思う。古典というものは、古いにもかかわらず現代でも活きている、別の言い方では、通じる、役に立つ、教えられるものがあるからこそ受け継がれているはず。子供にはそういうものに親しんでもらいたいと思う。『朋有り遠方より来る/論語』(斎藤 孝著、草思社)なんて、わたしもトリケラも感動しちゃった。論語は中学の古典の授業で習ったっけ?という感じだったけど、大人になって読んでみると、こどものときよりもずっとよく味わえる。

読書感想文、わたしは書いたほうがいいのだと思う。国語のいろいろな要素が入っているからこそ、わたしたちの子供時代から続いているのではないかと思う。
1)本を読む
2)あらすじを書く=大意をつかむ、全体を理解する
3)何が印象に残ったか=筆者の関心と自分の関心の共鳴する(しない)部分
(自分が何をどう考えるか、結局は自分という人間について知ること)
4)自分の考えを他人にわかりやすく伝える技術を学ぶ

自分の考えを他人に伝えるためには、自分をはなれて、他人の視点に立たないといけない。自分は経験済みでわかりきっていることも、他人には自明ではない。だから何の予備知識もない人にも自分の考えをわかってもらうためには、いろいろと情報を補わないといけない。これは技術なのであり、訓練が必要だと思う。ティラノは2年生の国語の授業で一つの文章には主語と述語があることを学んでいる。習った漢字で文を作る宿題でも、主語と述語をつかって文を構成するように指導されている。小さい子供は特に、世界観が自分中心(わるい意味ではなく、精神の発達過程で正常なこと)だから、自分の感じることはまわりの人も共有していると思ってしまう。たぶん、自分の思うことが他人にはわからない、ということがわからないのではないだろうか。そこを他人にも伝わる文章にまで仕立てるのには努力、工夫、技術、コツというものが必要になってくる。何も特定の読者の気持ちに本当になりきることはない。主語と述語がそろっているほうが、相手にわかってもらえるから、ちゃんとそういう文の構成要素を備えた文を書くようにしておこう、という処世術でいいんだと思う。「かわいい!」という文では何がかわいいのか、わからない。「グイちゃん、かわいい!」、「グイちゃん、おとうさんに”いってらっしゃい”って手を振っていて、かわいい!」と付加されている情報が充実してくると、状況がよりよくわかってくる。そのような、情報を補うという作業は、文を書くという訓練を通して磨かれるのだと思う。

ところで、『あたりまえだけど、とても大切なこと―子どものためのルールブック』(草思社)というアメリカの本の翻訳の広告を新聞でみて、原著を買ってみようと思った。本屋さんのサイトで検索をかける内に、宿題についての親向けのガイドみたいな本もあるかもしれないと思いつき、探してみた。"homework"で検索したら、該当する本がたくさん!"Homework without Tears"なんてタイトルを見ると、切なくなってくるじゃあ、あ〜りませんか。"In homes all across America, nightly wars are waged on the homework battleground. This workbook will help parents take the hassle out of homework and help their children succeed by motivating them and establishing education as a priority in the family."なんていう紹介文がついている。そうかー、どこの家でも、宿題をめぐって夜な夜な母子のバトルが繰り広げられているのね。こんなつらい目にあっているのは自分だけじゃない、みんな「闘って」いるんだと思ったら、少し気が楽になった。