トリケラは小学校教育に英語の授業を導入することには意味がないという意見だったので(http://d.hatena.ne.jp/ryasuda/20040816trackback)、今日はわたしが思うことを書いてみようかと思います。
中島和子著『言葉と教育<海外で子どもを育てている保護者のみなさまへ>』(海外子女教育振興財団)定価600円(本体価格571円)で読みましたが、母語に加えて外国語に堪能になるには、幼稚園から始めて約5000時間が必要だと言われているということです。小学校で週3回の英語の授業を6年間受けても500時間にしかならないので、それだけで英語に堪能になれるという時間数ではないということになるそうです。

もしも、本当にこどもたちが英語に堪能になる必要があったとして、必要な時間数を確保することに問題がなく、求められているような教え方をできる教員が必要な人数だけ確保でき、適当な教材があるのだとすれば、現行の英語の授業時間に加えて、小学校で500時間追加ができるのならば、それは反対する必要がないと思います。日本人の第一外国語は英語であって、それは文章の構造がかなり違う言語です。きちんと上達させるためのノウハウがないなかで皆がもがいているわけですから、母語=日本語で、言語の基礎を学んでから外国語を学ばせるべきという議論になりがちなのは、一定の理解ができます。けれども、一般的に幼児に二つの言語を学ばせることには害があるかといえば、そうではないと思います。

アメリカ、とくにニューヨークという、昔から移民がアメリカに上陸する入り口に当たる場所に住んでみると、一つの言語しか学ぶ必要がない人というのは、日本の現状とは違って、圧倒的多数ではありません。サマーキャンプに子供を連れて行ったときに、ある女性が「あなた、にほんじんでしょ」と声をかけて来ました。東洋系には見えるけれども日本人にも見えない彼女、実は日本人男性と結婚したタイの人でした。彼女によると、彼女のこどもたちはお母さんとはタイ語で話、お父さんとは日本語、そして一歩外に出ると英語でコミュニケーションするということでした。彼女に言わせると、それは「なんでもないこと」だとか。

言葉というのは日常生活で使用していれば、やがて自由に使えるようになるものなのではないでしょうか。一度習得したつもりになった言語でも、長期間使わなくてはさび付いてしまうでしょう。わたし自身が帰国子女なので、3年間のワシントン在住の後、帰国してからたったの半年で英語がしゃべれなくなることを体験しています。とにかく、使っていればしゃべれるようになるものだと思うのです。

ところで何種類もの言語を同時に学んでいると、気をつけていないと、言葉を混同して使うという弊害が心配されます。前述の本によると、使い分けが大事だということです。フランス語と英語の両方の習得に実績をあげているカナダでは、科目ごとに英語とフランス語を使い分けて授業をすることで、両方を混同することなく教えることに成功しているそうです。わたしの知人のタイの人の話でも、母とはタイ語、父とは日本語、外では英語という明確な区別があるので、こどもが3つの言語を使えるようになっているのです。

そういうことで、こどもに英語の早期教育をすることに総論で反対ではないというのがわたしの意見です。けれども、ちゃんと教えられる先生を確保するのはむずかしいような気がしますし、英語の授業の導入によって、他の科目の時間が削られることになるのでは、賛成しかねます。現行の授業に追加する形で英語も教えてもらえるのでしたら、賛成できますが。