昨日の記事の訂正です。ネイティブアメリカンピルグリムを助けてくれたのは、最初の冬を越すときではなく、最初の冬を越した後のようです。お詫びして訂正いたします。12月のおしまいになっても落ち着く場所が見つからず、はじめてのクリスマスは海岸で迎えたとか。その冬を越すことは過酷な試練で、新大陸の到着したピルグリムのうち、半数以上がなくなってしまったそうです。翌年の春、ピルグリムたちは、英語を話せるネイティブアメリカンと出会います。Patuxentパタクセント族のSpuantoスクアントという名のこの人は、信じがたい経歴の持ち主。スクアントがいなければ、ピルグリムが生き延びることは難しかったことと思われます。
 スクアントは、貿易船に乗ったイギリス人と一緒にイギリスに渡り、それから一旦はアメリカ大陸に戻ったものの、だまされてスペインへ奴隷として連れて行かれ、運良く修道士によって解放されてキリスト教徒になり、またイギリスに渡って3年間召使として働き、その仕えた主人の計らいでとうとう故郷に戻ってきます。ところが、およそ10年ほども故郷を離れている間に、疫病が流行して、スクアントの一族は全滅してしまっていました。スクアントが近くのWampanoagワンパノーグの村に身を寄せているときに、スクアントの村のそばに白人(ピルグリムたち)が町を作り始めているというニュースがやってきたというわけです。ピルグリムたちがアメリカ大陸にやってきて迎えた最初の春、1621年3月のことでした。
 スクアントは、”オークの木の葉がリスの耳くらいの大きさの時に”とうもろこしの種を植えるとよいということ、種の間にニシンを埋め込むとよいこと、とうもろこしの料理の仕方などを教えたり、ピルグリムたちが最初の冬に作った家を改良してより暖かいものにするのを手伝ったりしました。その他、他のネイティブアメリカンの部族との交易の仕方を教えたり、通訳をしたりしました。けれども、1622年には彼は熱病で死んでしまいました。(以上、Squanto -The English-speaking Indian Who Helped the Pilgrims http://www.workersforjesus.com/f25-14.htm より)
 プルグリムがアメリカ大陸へやってきたときに、すでに英語が話せるネイティブアメリカンがいたなんて知らなかっただよ。びっくらこいただね。メイフラワーに乗って海を越えてきたピルグリムたちも大した勇気を持っていたなと思うけど、400年も前にネイティブアメリカンが、よくヨーロッパへ出て行ったなと思う。自然に対する畏怖の念を持って暮らすネイティブアメリカンの目に、17世紀のヨーロッパはどのように映ったのだろう。(日本では江戸時代に入って、キリシタンが弾圧されている頃のことだ。)
 今の合衆国の姿を見ることができたなら、スクアントは、それでもやはりピルグリムを助けただろうか?