スコミムスを学校へ迎えに行ったとき、昼休み中のミセス・ダニカン(ティラノの担任の先生)と出会った。「わたし、昨日息子さんと話合いをしたのよ。そのこと、何か言っていなかった?」うーん、ティラノは何も話してはいなかったけど、昨日泣きながらも育英の宿題に取り組んだのはそのせいだったのかと合点。「学校であったことを話す子ではないけれども、行動に変化が現れた」と説明。廊下での立ち話ながら、内容が濃い会話を交わした。
 ティラノは楽に簡単に速く仕事を済ませるのが好きで、じっくりとむずかしいことに取り組むのが苦手。本人はその作業の内容が"boring"だと言い訳をして一生懸命取り組まないけれども、実際のところ、難しかったり複雑だったりする問題を避けているだけのこと。課題が比較的易しい今のうちはいいけれども、将来、もっとチャレンジングなことをやってみたくなったときに、今のうちから忍耐強く課題に取り組む訓練を積んでいないと、やりたくてもできないというはめになってしまう。だから、地道に忍耐強く課題に取り組むということは最初にとっかかりがつかめるまでは大変だけれども、その後はがんばることが容易になるんだよということを本人が納得できるように導いていこうということで、担任と親とが一致団結。
 息子の欠点を羅列しているようでいて、実はわたし自身の問題とぴったり重なる。わたしも若いうちに、ミセス・ダニカンみたいな愛情をもって厳しく指導してくださる先生に出会えていたらよかったな。先生にもっと厳しくしてほしいなという気持ちは学生の頃から自覚的に持っていたもんなー。一番厳しかったのが高校3年の担任のI田先生か。それでもやっぱり優しかったよなー。
 小学6年生の時のY田先生はとってもとっても優しい先生だったけど、卒業式の日に「継続は力なり」という言葉をアルバムに書いてくださった。コツコツと忍耐強くがんばることが大事だという教えを20年も前にいただいていたのに、自分にそれがどれだけ欠けているか、今になってきちんと理解できたような気がする。
 ティラノはいやな宿題をやらずにすませるために、いろいろと交渉を持ちかけてくる。この交渉自体が、ほかの子の世話をしたり家事をしたりしなくてはならないわたしには煩わしく、「うるさいなー、もう好きにしてよ」とさじを投げてしまいがちになる。ここをぐっとこらえて、ティラノが避けてはならない課題にきちんとむきあうように導かなくてはならないってわけだ。子供の頃に自分がそうしてほしかったように、怠惰を許さないキビシイ親にならないといけないんだ。子供に厳しくするのは自分にも重荷だけど、これがティラノの親としての務めと思ってがんばれ>自分!