わたしが付き添ってのグイの入院生活が成立したのも、ひとえにティラノとスコミムスを引き受けてくれた家族があったからこそ。トリケラ方の両親は子供たちを勝浦の海に遊びに連れて行ってくれ、母親不在で苦労を強いられている小学生の夏を楽しいものにしてくれた。とりわけ、一ヶ月ろくに会社にも行かず、一人で子供たちを保護してくれた父には頭が上がらない。短時間、機嫌のよいときだけに接するのなら、孫と一緒にいるのも楽しいだろう。だけど、朝起きてから寝るまで、学校に行く支度をしたり、食事の世話をしたり、きょうだい喧嘩でぎゃーぎゃーとうるさいのにも耐えたり、、、ともかくストレスも怒りのやり場もない中で、たった一人でティラノとスコミムスを世話してくれた父の苦労は、想像を絶するものだったと思う。普段一緒に生活している私だって、トリケラが学会で留守だったりして、朝一人で子供たちを学校に送り出さないといけないときは、あ〜大変って思うもん。校医からの勧めで、父が二人を耳鼻科へ連れて行ったり、スコミムスが腹痛を訴えて小児科に駆け込んでくれたり、ということもあった。私自身の子供時代に父と一緒に病院へ行ったということはなかったと思うし、トリケラが自分の判断で一人で子供を病院に連れて行ったこともなかったはずだ。お父さん、本当に本当にありがとう!!
アメリカで孤独に耐え、帰国時には父親として働きまくり、離日のスケジュールを整えてくれたトリケラもありがとう!ギプスをはめたグイが飛行機に乗る方法をいろいろ調べ、トリケラを全面的にサポートして飛行機を手配してくださったnegiさんにも大感謝です!
今回、再認識したのが「親戚力」というか、親戚のありがたみ。父とティラノ、スコミムスは日常生活を送るので必死だったので、頻繁に病院をたずねてくるということは不可能だった。入院しているわたしとグイの支えになってくれたのは、おばやいとこや弟のお嫁さんやトリケラ妹。入れ替わりたちかわりして、付き添いを数時間交代してくれたので、わたしは外に出て自分の食事を買ったり、ちょっとした買い物を楽しむことができた。一緒にいることに飽きてしまった母親と違い、交代してくださった方は新鮮な気持ちでグイと接してくださるので、グイもはじめはなじみの無い大人との対面にとまどっても、母とは違う本読みや遊びで楽しい時間を過ごすことができた。グイは苦痛を味わってとにかくかわいそうだったけれども、そういった状況の中でもすてきなことってあるなと思った。