夏休みに日本に一時帰国する前には、ティラノに勉強をさせなければならない状況によるストレス(とにかく課題が多く、こどもがひどく反発する)、スコミムスのキンダーガーテン進学問題(テストで、この子はキンダーに入れるレベルでないと診断された)、Dukeに行くことが決まりアメリカでの生活がうーーーんと長引きそうだという見通しがたったこと、DukeやUNC (University of North Carolina, Chapel Hill)にはわたしがこれまで目標にしてきたような分野の心理学の研究室が見つからないのでがっかりしたこと、授乳による身体的な疲れなどが重なって、相当に憂鬱になっていた。それまでは、今自分が鬱っぽいなーと思うことはあっても、死んでしまいたいとまでは思わなかったけれども、毎晩、こどもたちを寝かしつけた後、家中の薬を飲み込んでビールをがぶ飲みして死のうかなという考えが頭に浮かんでいた。以前にちらりとDSM (Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)の鬱病の診断基準に目を通したことがあって、それを思い起こしても「まあ、わたしみたいのは病気のうちにはいらないな」とは思った。それにしてもsuicidal thoughtがあるのはアブナイような気がして、保険会社の無料の電話カウンセリングに電話してみて、せめて「アメリカに住むのはいやだー!」と吼えてみようかなと思ったんだけど、冷蔵庫にはってあったはずの、そのカウンセリングの電話番号が見つからなくて、実際にはしなかった。(後日、電子レンジの横に張り付いているのを発見した。)

それで、夏休みになって、こどもの勉強の量が少し減って(決してなくならないのがミソ)、自分の大学の勉強は休んで(サマーセッションはとらなかった)、スコミムスは強引にキンダーに入れることを決め、朝きまった時間に起床する義務から解放されて、楽になった。もちろん、1ヶ月間日本で過ごしたのは大きい。住宅街なので交通量がとても少ない。ティラノが実家の目の前に建つ小学校に体験入学して、毎日一人で通学するのも安心。アメリカに住んでいる感覚からすると、たとえ目の前でも親の保護なしの状況で万一のことがあったら、非難されるのは親のほうだし、どこにどんな危険があるかと用心しなくてはいけないから、はじめはちょっとの距離でも目を離すのがこわかったけど。日本の小学校でも毎日宿題があったけれども、ティラノはここでやるよりもはるかにリラックスして宿題に取り組んでいた。新しいお友達、長い休み時間、うわばきに履きかえること、給食当番やそうじ当番、一人で町を歩けることなど、ティラノには新鮮な楽しみがたくさんあったし、わたしもそれが嬉しく、楽しかった。バンバリ−に遊びにいくのも楽しいし、日本人のお友達に遊んでいただいて幸せ。今、わたしはだいぶ元気を取り戻したと思う。