第一子が小学校で漢字を習い始めて約1年半。漢字の教え方に疑問を持っている。なぜかと言うと、うちの長男(とわたし)は日本に住むこどもたちよりも限られた時間内に、同じだけの勉強をしようという無理をしているので、少しでも漢字の習得が楽になればという思いがあるけれども、なんだか教科書の漢字の教え方が効率よくないように思えるのだ。何を基準に各学年に履修すべき漢字を割り当てているのだろう。

ティラノが今使用しているのは光村図書の「こくご 二年(上)たんぽぽ」。「豆」という漢字を習う前に「頭」を覚えなくてはならない。漢字を何も知らない一年生では難しいかもしれないけれども、ある程度漢字になじみがでてきている二年生では、漢字の成り立ちや部首について説明してもらったほうが、そのまま丸覚えするよりも、意味と形を納得して早く覚えられるのではないかと思う。ティラノは「曜」を覚えるのに大変苦労している。画数が多すぎて、11画目以降、どこに何本の線があるのか、てんでわからないらしい。「進」なり「集」なりを先に習っていたならもっと楽だっただろうに。「言」と「舌」を先に習っていて、後から「話」を習えば、楽勝なはず。学校ではそのように教えてくれず、ただテストに追いたてられるストレスだけを味わわされる。仕方ないので家で親がへん、つくり、かんむり等について説明するようにしている。自分が部首について習ったのは何年生のときだっただろうか。光村の教科書でも「里」と「理」や、「谷」と「台」を同じ章で教えるなど、工夫をしていることは認めるけれども、もっともっと上手に教えられるのではないかと思う。長い漢字教育の伝統があるのだから、もっと洗練されててもいいのではないかしらん。英単語を覚えるのだって、-logyとくれば何かしらの学問のことだな、って知っているほうが知らないより覚えやすいもん。

ところで漢字の学習の話になると、トリケラはいつも「今はワープロの時代になったから、自分で漢字を書けるようになる必要はない」だとか、「本気になれば、大人になってからでも十分漢字を覚えられる。今そんなに大変なら覚えさせなくてもいいのでは」だとか、母親にとっては”そんないい加減な!”と思えるような発言をする。ワープロがないと字が書けないのでは、字を書く必要がある場面にはいつも必ずワープロと電気が必要になるじゃないのさ。これからの時代、エネルギーは貴重よ。コールドスプリングハーバーの研究所には中国や韓国の人もいっぱいいて、英語に不自由な者どうし、最後の手段は漢字でのコミュニケーションになる。あとは中国、韓国の人の名前を覚えるのにも、漢字を見せてもらったほうが断然覚えやすい。英語の会話の中に混ざって「わたしはLeeよ」なんていわれても印象に残らないけど、「こういう字で書くのよ」って”李勇民”(ちなみにこの人は女性)と字を見せてもらえると、なかなか忘れない。わたしの韓国人の親友は「ユー・サーヤン」というのだけれども、”柳瑞映”と書く。なんか川のほとりに柳の木が立っていて、水に映っているっていうきれいな絵が浮かんでくるような素敵な名前でしょ。こういう名前の教えっこみたいなやりとりは、ワープロなんかでするのではなく、レシートの裏に、誰かに借りた鉛筆でこちょこちょって書くのが似合っている。”漢字学習は大人でも間に合う説”だけど、やっぱりそれは強引っていう気がする。漢字の数、多いもの。