6/29の日記

 コールドスプリングハーバーでNY最後の晩を明かした翌日。引越し荷物が現地に到着するまでの空き日なので、心残りのないようマンハッタンで一日を過ごそうと考えた。とにかくいろいろなものがあるマンハッタン、見逃したらもったいないものを数え上げたらきりがない。多々ある選択肢の中でも、子供連れでもいかれるところ、多少無理してでも行っておきたいところ、行かなかったら後悔しそうなところをよーく考えて、メトロポリタン美術館に的を絞った。
 行き先の選定にあたって、家族5人の1日分の衣類のはいった小さい旅行かばんとグイのカーシートがあっても大丈夫な場所、というのがネックになった。美術館のウェブページ(http://www.metmuseum.org/)で「クローク:全ての小包みおよび傘はギャラリーへ入場する前に美術館入口付近のクロークに預ける必要があり、またこれらは美術館の閉館前に回収されなければなりません。荷物や袋の持込は禁止されています。(美術館の日本語ページ)」というのを見て、荷物を預かってもらえるものと安心した。英語のページを見たときに"Luggage Policy:
No luggage, including small carry-ons and oversize backpacks, is allowed into the Museum. Luggage cannot be checked into the Museum's coat-check facilities. The Museum reserves the right to have a discretionary policy regarding what can, and cannot, be checked into the coat-checks. Questions about the Museum's luggage policy can be referred to the Security Office at 212-570-3781." とあったのも読んだけれども、「”クロークに荷物を預けるように。館内に持ち込むな”と言っているのは、美術品を盗まれないように注意しているんだな」、そして、旅行客と米国内の人とでは扱いが違うのか(???)と解釈した。
 電車でペンステーションまで行って、タクシーに乗ってメトロポリタン美術館へ。渋滞でものすごく時間がかかったので到着するまででもうくたびれた。いざ荷物を抱えて、グイを抱っこ帯で前にぶらさげて、正面の階段を昇った。その途中で警備員の制服の男性が「荷物をもっている人は美術館に入れないよ。」「えー、預ければいいんでしょ?」「その荷物はあずからないよ。」「そんなばかな!」「まあ、中に入って左側にいる人に話してご覧よ。」
 わたしたちにとってはNY最後の日の一大イベントなんだ、なんとか話してわかってもらわなくちゃ。世界でもトップレベルの美術館なんだ、学校のアートの授業ですでに印象派の画家の画風をある程度学んでいて、その技法を真似て作品を制作してきたティラノに是非本物のアートを見てもらいたい、5年近くもNYに住んでいて一度も美術館に行かれなかったらわたしは一生後悔する、とそういう気持ちだった。ドキドキしながら入り口を通って、左側のデスクにいる男性に「この荷物をあずけたいんですけど」と話し掛けたら、「はあ?そういうものは預からないけど」とそらっとぼけた表情。すごく失礼なんだ、この人。過去に何度もゴネる客の相手をしてきて、とにかくとりあわないようするのが一番、を決め込んでいる様子。「5ブロック先にグッゲンハイム美術館があって、そこでは荷物を預かるから・・・」と言われて、ものすごーく腹が立った。今、この場が目的地のメトロポリタン美術館で、目の前のホールだけでもすばらしいのに、旅行かばん一つあるがために(カーシートのほうは問題ないそう)何も見せてもらえないなんて!その男性は「グッゲンハイムに荷物を預けたまま、こちらへ戻ってくればメトにも入館できる」と言っていたので、実際には見られないわけではなかったけれども、なにせ引越し荷物を送り出してくたくた、夜も緊張していてゆっくり休めず、子供3人と荷物をもって電車とタクシーを乗りついで来たので、わたしのほうには平常心というのはない。今日が最後、という思いも強かったし、短期間とはいえ自分の家がないという特殊な状態にあったしね。「5ブロック先まで”ちょっと”歩けばいいじゃん」みたいに言われて絶望的な気分になった。その場でグイをぶらさげて立っているだけでもつらいのに〜。
 「テロ以後、セキュリティーの問題で館内のいかなる場所にも大きな荷物を置いておくわけにはいかなくなったんだ。例外をつくるわけにはいかない」とダメの一点張り。わたしも「日本語のページには”クロークで荷物を預かる”って書いてあるもん!」と抵抗。その場でインターネットのページを一緒にみて、翻訳ページが英語ページとかみ合っていないことを確認した。
 ともかくそのままの状態ではどうにもならないことは納得。スコミムスがトイレに行きたくなったので、トイレだけは貸してもらった。トリケラが子供を連れてトイレに走ってくれた。それを待つ間、わたしは入館を拒否されたことと、自分の認識が甘かったことが悔しくて悔しくて涙がこみあげてきた。あの男性にも腹が立った。同じ「入館できません」でも、「あなたの残念な気持ちはわかるけれども、自分たちにもどうしようもない事情があるので、申し訳ないけれども入館をお断りします」という感じだったら、それほど腹立たしくもなかったかもしれない。でもあの男性はゴミを掃き出すように私達を追い出そうという態度。こみあげてきた涙をしおらしく隠すこともできたけれども、ちょっとくらいあの男性にもいやな思いをしてもらおうと思って、大袈裟ではないけれども人目に見える程度に泣いてみた。(あんたって仕返しする人なんだよねー、とトリケラ。)
 やがてトリケラが子供達と戻ってきた。わたしの地味目なアピールが微妙に威力を発揮。やれやれ、しょうがないなと思った様子で、その男性がトリケラに「NYに戻ってくるチャンスはあるのか」と質問しながら、無期限で有効で無料で入館できるゲストパスなるものをトリケラに渡してくれた。わたしは「フン!」と、その男性と目を合わせることなく荷物をもって退出した。(誠意があるなら、荷物を抱えた赤ちゃんを含む家族連れに、ドアくらい開けてくれるもんだよ、アンタ。)
 「ねえ、おかあさん、泣くほどあのミューズィアムみたかったの?」とティラノ。「・・・。(だってあなたに本物のすっごいアートを見てもらいたかったんだもん。)」わたしはブスっとして、「こんなことになっちゃってごめんね」以外はほとんど無言でグッゲンハイムまで歩いた。「まだー」と文句がでる子供たちを歩かせながら数ブロック、独特の渦巻き型の建築物が見えてきた。「ほら、ほら、見て!あの建物だよ。あの美術館はね、建物そのものもアートなんだよ!」スコミムスには「ほら、でんでんむしみたいでしょう」と声をかけて気持ちを盛り上げた。
 グッゲンハイム美術館(http://www.guggenheim.org/)に入ってクロークに歩を進めるときはもうドキドキ。あそこなら荷物をあずかってもらえる、と言われていたものの、また「それはだめだよ」と言われるのではないかと不安だった。でも杞憂だった。すごく気軽にニコニコと荷物をあずかってくれた。はあ〜、苦労が報われた〜。もうお昼が近かったので、すいているうちにと、館内のレストランへ。食事にビールを添えたらやっと気持ちもほぐれた。グッゲンハイムもすばらしい美術館だと聞いていたので、来て見たいとは思っていたんだ。
 最初に見たのは、Hilla Rebayという知らない作家の特別展だったけど、「ん〜、何がいいのかわからない。」館内がどうなっているのかよくわからないまま、とにかく進める方向へ向かって行ったら、そこにピカソがあった。
(http://www.guggenheimcollection.org/site/artist_work_md_126_4.html)
柵もガラスもなくて、普通の家の壁にかけてあるみたいに、ピカソ静物画があった。キュビズムにはしっているときのピカソの絵では有名な『ゲルニカ』、それに高校の美術の資料集に載っていた『泣く女』が印象に残っていて、両方とも視覚的にコントラストが強く、また題材もインパクトの強い作品。それと比べると、その場で目にしている静物画は灰色、黄土色といった落ち着いたトーン。その静かさに感動した。(後で、あんまり近づきすぎたので警備の人に注意されちゃったけど)印刷物でみるのと違って、画家の筆遣いも間近で見ることができるのにも感動。感情の洪水みたいになった後だったので、また涙がちろりんと出た。グルグルとまわってみてもほかにあまりおもしろいものがないので、荷物をグッゲンハイムに預けたまま、歩いてメトロポリタンに戻ることにした。グッゲンハイムの閉館時間はメトロポリタンの10分後。メトで閉館ギリギリまでいた人が荷物を取りにこられるようになっているってわけだ。もっとも夕方、飛行機に乗るので、ラガーディアまで行く時間を計算すると、そこまで長くは滞在できないけれども。

*今、オンラインで見るピカソ静物画は、美術館で現物を見たときとはまるっきり別物のよう、”ただのピカソのコピー”でしかない。NYを去る直前になって慌ててオペラとバレエと美術館に行ったけれども、やっぱりCD、DVD、写真では本物のドキドキ、ワクワクには勝てないなと思う。

(つづく)