7/1 フローリング工事編

hiico2005-08-04

 無事に新しい「我が家」に移動を済ませたものの、引越し荷物の開梱はあまりはかどらなかった。何しろ、箱を開けてもその中味の行く場所がない。フローリングが最初に完成した女の子二人の部屋はかろうじて布団を二枚敷けるだけのスペースを除いて箱だらけ。コンクリート剥き出しのティラノの部屋には、荷物の搬入時には工具や木材がいっぱいだったのを、引越し荷物のスペースを確保するために空けてもらった。引越し終了時にはティラノの部屋にも20箱くらいのダンボールが押し込まれた。夫婦(+グイ?)の部屋にも、もともと工具、機器がたくさん置かれていたところに、ティラノの部屋から移動してきた木材なども加わって、シロウトが足を踏み入れる場所ではなかった。3つの寝室があるエリアとその他の部屋をつなぐ廊下には、床と壁のつなぎ目を隠すためのモールディングの細い木材が無造作に置かれていた。
 荷物があふれ返ったことの一つの原因は、完成しているべきだった、もう一つ別の部屋が未完成だったことだ。それは、造りが脆弱なので本物の木のフローリングではなくビニールの床を新しく敷くことにしていた、過去にガレージを改装したと思われるアパートの2階部分。これはフローリングの業者が木しか扱わないために、別の床屋にビニール床を発注していた。依頼したのはブライアンという店主だったけど、実際の作業はその部下が担当していた。私達が引越し荷物を送り出し、NYで美術館を歩き回り、飛行機がキャンセルになって途方にくれていたころ、新居の方では、二つの床の業者が別の作業を同時進行させていた(はず)なのだ。フローリング屋さんのマークによると、ビニール床の人は、荷物搬入の前日の午前中は働いていたけれども、午後、仕事を継続させないでトンヅラしてしまったらしい。引越しの当日には戻ってきてくれなかったので、ビニールの床は未完成。したがって、トリケラのオフィスとして使う予定のこの部屋に、膨大な量の書籍類、本箱、パソコンやプリンター、パソコンデスクなどが運び込めなかったのだ。
 引越ししたのが木曜日、翌日の金曜日の朝9時過ぎには、前日に約束した通りにマークとポールがやってきた。「今日は主寝室を完成させるよ。」ボヘミアン・フローリングという会社名でやっている二人は、本当にボヘミアンなのだそう。マークは本当はマレックで、ポールはパヴェルと発音する。パヴェルの話では、チェコにとっては日本が一番多く投資してくれる国だそうで、パヴェルは仕事の合間を縫って、日本に対して親近感を持っていることを表現した。チェコにはホンダの工場がたくさんあるんだとか、日本人はドヴォルザークが好きだとか、日本がチェコのビールをたくさん輸入しているとか。社会勉強になっちゃった。日本がチェコにそんなに投資しているなんて知らなかったし、ホンダの工場がチェコにたくさんあることも「へえ〜」という感じ。(日通の引越しではダンボール全てに依頼主の苗字をアルファベットで記入してくれる。長い作業時間の間に名前がわからなくなってしまった作業員の方が、一部の箱にMR.HONDAと書かれていた。この箱をみたマレックが"Oh, we are working for Mr. Honda!"といいながらニコニコとわたしたちに東洋風におじぎをして見せてくれた。箱の大多数には正しい苗字が書いてあったのに、Hondaにしか目がいかないのね。)ドヴォルザークにいたっては、中学の頃に毎晩のように「新世界」を聞いていた思い出のある作曲家だけど、あの人はチェコの人だったんだっけ?という始末。
 風貌が西洋人だと、ヨーロッパのどこの人かまで、わたしの目では区別がつかないんだけれども、ちょっと話をすると、この人たちはアメリカ人ではないんだなと感じられる。マレックはお故郷ではコンピュータの分野で学位を取得しているらしい。アメリカで肉体労働するのは大変だろうから、コンピュータの仕事のほうがいいのではないかと質問したら、「故郷では失業率が高くて、僕にも仕事がない。こっちのほうがよっぽどいいよ。机にずっとむかっているのではなくて、いつも新しい人との出会いがあるでしょ」と言う。「でも最近はましになってきたんだ。EUに加わったから。これからはワン・ビッグ・カントリーなんだ。」わたしはアメリカという異文化になじむだけでもアップアップなんだけれども、海の向こうのヨーロッパのことを全然理解していないんだと、ちょっとショックだった。陸続きのカナダ、メキシコのこともやっぱりわかっていないしな。
 彼らは「今日はこの部屋を終わらせる」と言ったら、本当に終わらせてくれた。一番最初にフローリングを引き受けたラリー・ディーンは、「イエス・マム」とか「イエス・サー」と言葉は丁寧なんだけど、何の理由の説明もなく仕事を放り出したし(お陰でわたしたちは引越し荷物に囲まれて暮らすはめになった)、ビニール床の作業の人もひどい怠慢。本当に奇跡的に一つ仕事がキャンセルになったからと、わたしたちの床を引き受けてくれたマレックとパヴェルには感謝のしようもない。
 それはいいんだけど、ハードウッドをインストールする作業の音の大きさには参った。彼らはなにも耳をガードするものを使用していなかったけれども、いずれ耳が聞こえなくなってしまうのではないかと心配になるくらい。硬い樫の木の細い板を一枚一枚その下の木材に打ち付けていく作業だ。一枚一枚がぴっちりとはいるようにハンマーで叩きながら板をはめ込んでいく。この「ガン!ガン!」という音が大きくて、耳にキーンとくる。そして業務用のネイル・ガン(くぎをかなづちで人力で打ち付けるかわりに使用される機械)、引き金を引くと一発でくぎをうちこんでくれるので、こうした作業には欠かせない道具だけれども、「プシュン!」というか「バチン!」という音がこれまた強烈。グイがとくに嫌いで、わたしも重くて危なそうでいやだったのが、ネイル・ガンが接続されていて「ゴー」という大きな音を出す機械。わたし自身、ネイル・ガンを手に取ったことも使用したこともないのでよく仕組みがわからないし、この機械が家庭用の電気をパワーアップするのか、それともネイル・ガンに何か圧力をかけるものなのか尋ねてみることもしなかったけれども、ネイル・ガンの使用に関わりなく、何かの折りに「ゴー」と勝手に作動しているようだった。とにかくこの恐ろしい機械が廊下にデンと置かれているのがいやだった。しかも完成した新しいフローリングの上に、何も敷かないで(きずがつくじゃん)。
 グイは大きい音が鳴るのがこわくて泣いてわたしにしがみついた。わたしもこの音には耐えられないと思って、家の中でもなるべく作業している部屋から遠い場所で時間を過ごすようにしていた。家財がそこにある以上、家を空けたくはなかったからね。でも、ティラノとスコミムスといったら、作業している寝室のすぐ隣の、すでに完成している女の子の部屋で、一日中閉じこもって遊んでいた。「そこ、音が大きいから、こっちにおもちゃ持ってくれば」と声をかけても、「ううん、別に平気。」母親としては、大人の男性二人がいる場所に子供たち二人だけを置いておくのも気になったわけで。作業の音が聞こえてくるし、ちゃんとした人たちだとは思ったけど、ときどき様子を見にいくようにした。おかあさんがあっちへいっちゃって後を追いたいけれども、「ゴー」の機械のそばを通るのはコワイので機械の手前で泣くしかなかったグイには気の毒なことをした。
 「ガン、ガン、ガン」「プシュン、プシュン」で耳鳴りがする一日が終わり、主寝室が完成、一つ荷物を移動させるスペースができた。この勢いでどんどん終わらせてくれるのかと思ったら、土日はしっかり休んで月曜にまたくると言う。「もう一つの寝室をやる予定だから、引越し荷物を移動させて部屋を空けておくように」と言い残して彼らは去った。月曜って、独立記念日だけど、本当に来るのかな?ただのカレンダーの勘違いで、来るのはきっと火曜日だろうな。ともかく、おつかれさん! 
*写真:今は何も置かれていない廊下。一ヶ月前は細長い木材がたくさんおかれており、トリケラが通るたびに足をひっかけて痛がっていた。
 




今日も読んでくださってありがとうございます。
いたーいお耳に、優しいワン・クリック!
よろしくお願いします。
Thank you for your patronage!