写真日記着物

hiico2005-09-09

 夜7時から、トリケラの大学の学科長の家で、新任ファカルティの歓迎パーティー。子供を連れて行かれないパーティーだということで、子供3人をY.M.さんに預かっていただいた。Mさん、ありがとうございました!
 ドレスコードは”カジュアル”だという話。トリケラは朝普段着で研究室に出かけていって格好で学科長のジムと会い、「そのままでいいよ」といわれたので、そのままで行くという。普段着でよいと言われたのを真に受けて恥をかくことはよくあるので、トリケラには、母が誕生日に送ってくれたドレッシーなシャツとジャケットを着せようとした。「ジャケットは暑い」と拒絶されたけれども、まあ、夏なのに長袖を着てくれたのは、普段よりもずっとましか。
 わたしは、夫婦だけ(子供なし)のパーティーと聞いて、ずっと前から浴衣を着ようと思って準備していた。実母が、がんが脳に転移して倒れる直前の夏に一時帰国したときに、一緒に高島屋で買い物した思い出の浴衣で、手持ちの中で一番いいものだ。ただのバーベキューパーティーなんかでは、汚れるので絶対に着たくないけれども、こういうドレスアップしたいときが着るチャンス。授乳が終わって、着物を着ている間に胸が張って来て着崩れたり、着物を汚したりする心配がないのも嬉しい。
 下に着る半襦袢半衿をつけて着物風に着る着方に初挑戦。夏の帯も帯揚げもないので、それがコーディネイトのネックに。祖母から譲り受けた渋いピンク色のカジュアル目な帯も合うかなと思ったけれども、夏用の小物もあまりそろっていないので断念。結局、母と会えた最後の夏に、築地の国立がんセンターへの見舞いの途中で立ち寄った銀座のお店で買った、白い博多の半巾帯を合わせた。ネットで購入した、古布の帯留も初登場。
 肌襦袢半襦袢、その上から浴衣を着て帯を締めるので、ちょっと重装備な感じではあったけれども、他にもインドの女性が故郷の衣装をつけていたりしたので、ひどく浮いてしまうということはなかったと思う。やはり教授の奥様方や女性の教授は、カジュアルなパーティーでも、それなりのきれいな格好をされていた。アメリカに住んでいる間に、わたしたちのカジュアルの範囲が世間とずれてしまっただけかもしれないけど。用心していないと、カジュアル=ぼろ服(洗いざらしのヨレヨレTシャツ)って感じだもんね。
 さて、子供のいないパーティーは、うるさいつきまとう子がいないので大人の会話に専念できてしまうのが便利かつ難しいところ。前のボスのカールのパーティーでは子供の世話をやくので間がもつ、それにしゃべる相手がいなければ、他のママ友達とつるんで楽しく時間を過ごすことができた。でも、初めて会う人たちばかりのパーティーで、しかも子供もいないとなると、どうやってその場のおしゃべりをエンジョイするかに苦労する。和服を着ているのは自分にとっても、話し掛けてくれようとする相手にも幸い。会話のきっかけがつかめるから。「Kimonoがきれいね」と言ってくれる人は多く、わたしはKimonoという言葉の普及度がロングアイランドとは違うので少し驚き。帯に挿した扇子に興味をもってくれる人もいれば、帯結びにコメントしてくれる人もいた。半巾帯を蝶結びにしていたので、お太鼓を見たことがある人はちょっと違うなと思ったみたい。飾りでつけていた帯留も「それは着るのに必要なの?」と興味を持ってもらえた。うーむ、チャペルヒル、やっぱり日本文化の浸透度が違うな、と思った。




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