5/30の続き

 やっとこヒューストンに到着したときには、すでに一日に一本しかない成田行きの飛行機はとっくのとうに出発してしまっていた。重たいリュックとバイオリンをそれぞれにかかえてかなり疲れているティラノとスコミムス、それにわからんちんのグイを連れたまま、3時間列に並んで、次の飛行機の手配をしてもらった。夜9時発の飛行機でシカゴへ行き、一晩明かして、翌日午後12時20分の別の航空会社の飛行機で成田へ飛ぶことになった。コンチネンタルの人が手助けしてホテルを探してくれたけれども、どこも満室。バゲージクレームの廊下の簡易ベッドで3時間ほどの睡眠をとった。去年のNYからNCへの引越しを経験していなかったら、卒倒してしまいそうな事態だったけど、ま、ここはアメリカだからと、なんとなく納得。
 シカゴの空港には子供博物館の出張所のような子供の遊び場があり、とても助かった。簡易ベッドの業者に朝4時にたたきおこされて、だっこ帯にもベビーカーにも収まらないティラノは、レストラン街のオープン前はかわいそうにずっと退屈していた。遊び場が利用できることがわかって、知らない子とかくれんぼうをしたりして、苦行の合間の楽しいひと時。
 RDUを発ってから一日たつのに、まだ日本へのフライト時間は14時間くらいあるので、どんなにつらい思いをするかと戦々恐々としたけれども、実際のところは全員がし〜っかり睡眠をとり、あっという間に成田に到着した。
 預けた荷物を引き取りに行ったが、見当たらない。ヒューストンからシカゴへの路線の変更、そしてシカゴでは航空会社の変更があったので、こうなるんじゃないかと思ったよ、といった感想。係りの人に相談したら、一つはシカゴでみつかっており、もう一つは行方不明だという。その場であがいても仕方ないので手続きをすませて、身軽なまま、迎えにきてくれた父と2年ぶりの再会。
 見つからないほうの荷物は、どっちかなぁ。着物が入っているほうなんじゃないかな。きっとトリケラの怨念があまりにも強くて、わたしが学会で着物を着られないという運命なんじゃないだろうか。