6/1の日記

 学会発表を翌日に控えた6月1日。学会発表中はこどもを預けなくてはならないけれども、父が外出の予定だったので、東京のトリケラの母に子守をお願いする。そこで午後から横浜から東京へ電車で移動。わたしは事前に発表で使用するスライドの動作確認のために学会会場へ行かなくてはならなかったので、ねむったグイをだっこ帯でぶらさげ、パシフィック横浜へ。少しでも楽になるようにと、父が上の二人を引き取り、「人体の不思議展」へ連れて行ってくれた(http://www.jintai.co.jp/main.html)。
 わたしのほうは桜木町から会場までの徒歩が、グイの重さのせいで大変だったけれども、データのほうは問題がなく、用件はさっさと終わった。会場で「こんにちは」と声を掛けてくださった方のお顔に見覚えがあったものの、すぐにはピンと来なかったけれども、思い返せば、あの方は仁志田博司先生に違いない。学会に誘ってくださった方なので御礼を言う絶好のチャンスだったのに、タイミングをはずしてしまって残念!
 横浜駅で銀行により、すべての用事が1時間半以内に終了。人体の不思議展組も適当にきりあげて戻ってきた。人体の不思議展は「きもちわるかった(ティラノ)」そう。展示されているのが、全部ほんものの人体標本だとかで。スコミムスは「あ、おちんちん!!」と大声をだして、父を困らせたらしい。
 横浜で会社へ向かった父と別れ、わたしとこどもたちはトイレ休憩。それからトリケラの両親の家へ。朝に航空会社と連絡をとり、トランクは二つとも発見され、今日中に配達されるということだったので、結局、着物を着て発表ができることになった。

*6/2の日記
 子供たち3人をトリケラの母にお願いして、入念に着付けをしていざSIDS国際学会会場へ。アメリカでお茶のお稽古のときに着物を着るときはとにかく時間がないので、納得がいくまで丁寧にあちらこちらを直すということができないけど、今回は帯まわりが会心の出来。でも時間の余裕がなくなってしまった。バッグを用意できなくて、とうてい着物とは合わない、おむつを入れたりしているずたぶくろで出掛けた。残念。
 セッションの開始5分前くらいに到着したので、余分に緊張しなくて済んだかも。一番最初の発表はわたし以外でただ一人の日本の方。スライドなしで、発表は日本語。なんだ、同時通訳がついているから、ああいうのもありなんだな。その後、外国での遺族のケアの活動をされている方の、活動の紹介などがあって、わたしの番。緊張して、原稿から目をはなして聴衆に視線を配るのに苦労していて、タイマーが点滅するまで時計の時間がどんな具合になっているかまでは神経がいかなかった。でも点滅しはじめがトークの山場で、お客さんもちゃんと聴いていてくれる感触があったので、気にしない、気にしない。ざざっとサマリーまで行って、なんとか無事に発表し終えた。まあまあだな、と思った。
 セッション全体の終了後に「名刺をください」と声をかけてくださる方があり、そのようなものの用意はないのでメールアドレスを交換。そして、発表の後にオフラインではじめてお会いする、天使の会のメンバーと無事に対面。実はシャイな方だという印象だったので、声をかけてくださらない可能性もあるかなと思っていた。一緒にお寿司屋さんでランチ。お一人で新幹線に乗って横浜まで来てくださって、初対面の外国人と英語で積極的に交流されているようで、とても活き活きとされていたのが印象的だった。
 本当は学会の他のセッションを見たかったけれども、母に預けているスコミムスがぜんそくっぽかったので、すぐに戻ったほうがいいと判断し帰宅。駅で買い物して、夕食の準備をしてから、天使の会のオフ会に出掛けた。着物を着ていくのでそれを目印に、と言っていたけれども、暑かったし、発表の後で疲れていたので、脱いでしまった。全員で4人集まったけれども、わたしだけ近所のおばさんっていう風情だったので、着物を着とけばよかったかなと思った。
 中華料理屋さんで夕食をとりながら、いろいろなお話ができた。投稿されるメールには反映されないところで、メンバーの方がどんなふうなことを思ったり考えたりされているかがわかって、とてもよい集まりだった。集まってくださった方と母と子供たちに感謝。