第三日目(4月13日)
 昨日まではほとんど成果なし。もう半日探していい家が見つからなければ、夕方4時半の飛行機でニューヨークへ戻り、また数週間後に同じことをするために戻ってこなくてはならない。ティラノとスコミムスは、走る場所さえあれば、鬼ごっこやかくれんぼをして遊べるので、どうにか二人で間を持たせてくれていて助かるけれども、人見知りの時期のグイが大変。リムジン、飛行機、ホテル、それに物件と、知らないところへ次々と連れて行かれて、かなり神経質になってしまった。おにいちゃん、おねえちゃんの真似をして、後を追って走ったり、きれいな置物などに気をとられている間はいいけれども、はたと母親の姿が見えないことに気づくと狂ったように泣いてしまう。まだ一歳の彼女には気の毒な状況なのに、母親は家のほうに関心が向いているから、全然優しい対応をしてくれないというのがまたかわいそう。わたしのほうも、注意をそがれるので参ってしまう。こんな家探しを、もう一度仕切り直ししないといけないのでは、とても大変だ。
 可能性があるのはVirginia DriveとEmory Drive。両者の値段は1000万円以上も違う。通勤にかかる時間の差はYahoo Mapで出る数字で1分。1分分近いEmory Driveを買うために、1000万余分に払うかどうか。もちろん広さも違うんだけどね。雰囲気がいいVirginia Driveからの通勤に納得ができるかどうか調べるために、朝9時半に出発して、Virginia Driveから新しい勤務先のDuke大学の研究室のあるビルまでドライブしてみた。Yahooの見積もり通りに20分だった。高速に乗ることと、道路を頻繁に乗り換えるのがイマイチか。トリケラはもともとのんびりさんなのに輪をかけて、実験で疲れて、夜中にぼんやりとしながら運転して帰宅することが多い。今の借屋はほとんど一本道を真っ直ぐ行くだけの通勤なので、多少は時間がかかっても道を曲がる間違えなどがないのは気に入っているらしい。Virginia Driveからの通勤では高速の出口を間違えるなどのミスが多くなりそう。
 ともかく時間の感覚をつかんだところで、マーサのオフィスへ。前夜にインターネットで検索をかけたら、現地訪問直前に売りに出てステキだと思ったけれどもわたしたちが到着したときには人が手をつけていたという物件が、まだ表示されている。もしかして交渉が決裂して、わたしたちにもチャンスがでてきたかと思った。けれどもマーサが調べてくれたら、単にコンピュータに登録できるほどに情報が整理されるのには2,3日の時間がかかるという事情なだけで、やはりその物件は人手に渡っているということだった。残念。
 「二人で話し合って、VirginiaかEmoryだとは思っているんだけれども、積極的に気に入っているわけではなくて、結論を先延ばしにするか、もう当初は賃貸でいいということにするか、どの選択肢も選べなくて・・・」とマーサに伝えた。この時点で、残りの半日は、ただ飛行機を待つだけか、それとも考慮していなかったタウンハウスなどの物件を見に行くかという感じだった。そこでふと、希望の価格帯に入っているにもかかわらず、今までに検討していなかった物件があることを思い出し、せっかく来たんだしヒマだから、それを見てみようかと提案した。トリケラはもう疲れてしまっていて「ヒマだから見るってのはやめようよ。」
 その家は以前にヴィッキーが下見に行ってくれていた。「家族用の広い部分のほかに、賃貸するか、おじいちゃんおばあちゃんと同居するかというようなアパートメントのような部分がある、あなたの家族が使いやすい間取りかどうかはよくわからない」というコメントがついていた。不動産屋さんのホームページには家の外観の写真が一枚あるだけで、中の様子がわからなかったこともあって、わたしもあまり関心をもっていなかった。森の中に建っているようなその家はコンテンポラリーなスタイルで杉の板が縦に張ってあってかなり好みに合っていたのに。アパートメントになっている部分が完全にセパレートなのか、さもなくば薄い壁をこわして全体を一つながりにすることが可能か、見る価値はあると思った。でもこれまでの展開が展開なだけに、あまり明るくない気持ちっていうか、重い腰をどうにか持ちあげる感じで車に乗った。
 マーサの車に続いて走ることしばし。山荘風の家並が目に入って、このネイバーフッドはすてきね、なんて思った瞬間に、マーサがすぐそこの家のドライブウェイに駐車。「あれ、ここなの!?」キャー、すてきじゃーーーん!!
 杉の外壁のお家もステキだし、それが松の林の中になじんでいるのもいい。玄関前もウッドデッキでおしゃれ。ドアの前は石が敷いてあってこれも高級感を演出。あとで聞いた話では新しくかえたばかりだそう。きれいなドアを開けて一歩家の中に入ると、目の前に水墨画の掛け軸。ポイント高し!今住んでいる人がいないと聞いていたのに、オーナーの私物は住んでいる状態のまま。実はオーナーは大学の教授で、この地域の大学で講義があるときだけ、この家を使っているという。Emory Driveのオーナーの趣味はわたしと違いすぎて、ウゲーという感じだったけれども、この家のオーナーのデコレーションは教養の高さが伝わってきて大好き!壁にたくさん絵がかけてあって、とくに居間にあった油絵の風景画が印象に残った。今の借屋を探しているときに、額がたくさんある家の中に入ったことがあるけれども、印象派の絵画のコピーだったりして、なんだか安っぽい感じがした。当然、絵そのものは色なり構図なりが素晴らしくて、壁をきれいに飾るわけだけれども、でもなんだかああいうものはわたしの好みではない。無名のプロや達者な素人のオリジナルのほうがいいなと思っている。だから、家の雰囲気とすごくマッチしたオリジナルの風景画が飾ってあって、なんだか感性に通じるものを感じた。
 この家の最大の謎だった間取りだけれども、アパートメントと呼ばれている部分は、実は鍵のかかるドア一枚で隔てられているだけだった。なーんだ。ドアを取り払ってしまえば、ただの一軒の家じゃないの。メインの部分は一階建てで、アパート部分はメインから数段階段をさがった半地下とその上に中二階といえばいいだろうか。メイン部分に3ベッドルーム、ダイニング、キッチン、リビングが揃っている。半地下の部分がいわゆるファミリールーム、つまりテレビを置いて家族でくつろいで映画鑑賞したり、こどもが散らかすおもちゃなどをドバドバーと押しやることができる部屋(これとリビングを使い分けることができると、急な来客もオッケーになる)、それに中二階はパソコンを置いてお父さんの仕事部屋として使えるなと踏んだ。
 現代のアメリカ人が、寝室の数と同じもしくはそれよりマイナス1くらいの数のバスルームの数を求めるトレンドの中で、バスタブのあるフルバスルームが一つしかないのがこの家の欠点だとマーサが指摘。今まで見てきた家で、わたしが「こんなにたくさんバスルームを持ってどうするの?掃除がたいへんなだけ。日本ではトイレが複数あればぜいたくなほうで、風呂場は一つしかないものだ」と何度も言っていたし、マーサ自身5人兄弟の中で育って昔はバスルームは一つで十分だったと話してくれていて、我が家ではフルバスルームが一つしかないことは問題にならないことはマーサはすぐに了解できた。
 アパートの構造も問題ないことがわかって、わたしたちは「この家を買うぞー」と大興奮。マーサも"What a surprise!"ヴィッキーから引き継いだファイルの中に、この物件の情報が入っていたので、てっきりわたしたちが去年この家を見ていて、気に入らなかったのだと思い込んでいたそう。わたしも「間取りが変」と聞いていたし、家の中の写真も見られなくて愛着がなかったし、なんといっても300日以上も売れずにいたので、何かおかしな家なのだという先入観があった。わたしはオタクなのりで、永らく不動産屋のホームページを見ていたので、この家の言い値が$10,000ほど下げられたのも認識していた。値段を下げてもなお売れない家だと思い込んでいたのだ。
 南に面したリビングルームからは、スライドするタイプのガラス張りのパティオドアから自然光がたっぷりはいる。そのドアの向こう側にはウッドデッキが。デッキの右手には木の壁で囲まれたホットタブまである。ホットタブについてほとんど認識のないトリケラは「なんじゃ、ありゃ。」夏にはそこで子供が水あそびしてもいいし、別称露天風呂と呼んでもいいと説明した。ぜいたく品だと思っていたので、そんなもの欲しいと思ったこともなかったけれども、実はおいしい話よね。
 庭におりてみて、残念ながらこの庭はやや使いにくい感じはした。敷地の見取り図を見せてもらったら、なんとこの土地は三角形。その中に四角く家を置いた残り部分が子供の遊び場になる。ティラノ、手をいれないとここではサッカーは無理だね。松の木がにょきにょき生えているし。ロングアイランドでは青々とした芝生の手入れと、できる人は一生懸命ガーデニングするものという感じだったけれども、この森の中の家ではそういうことは全然期待されていないんだ!
 この家にオファーを出すというムードが全体にまとまったところで、マーサが「オファーを出す際に、オーナーが家を損なうおそれのある木を切り倒すように要求したほうがいい」とアドバイス。おぉ、さすがプロだ。この人たちが気に入る家が見つかってよかったとほっとしていただろうに、その中でも冷静に仕事をしていたんだなぁ。ウッドデッキにほとんど接触しそうな位置に太い松、それに駐車スペースの前にそれほど間近ではないけれども将来問題になりそうなところに中くらいの太さの松が生えていた。木を切り倒すのは数百ドル程度の出費になるので、オーナーに頼むだけ頼んでみなさいよということだった。
 そんな話を外でしているとき、トリケラが「木をはだかのままうちつけて、それにペンキを塗ったようなこの外壁は安っちい」と発言。オロカモノめ!これはCedarなのよ、杉なのよ。日本でも杉は人気のある建築材でしょう。わたしはもっと安い家を買って、コンテンポラリースタイルに近づけるために外壁を自分でやり直すオプションも検討していた。密度が低いので断熱効果が高く、軽く、防菌防虫効果が高い、そして残念ながらそれゆえに値段も高い資材なので、自分ではそれはできないと結論していただけに、”ヤスッチイ”発言にはカチン!マーサの見立てでは、この外壁はそう遠くない過去の時点で手入れされているし、ローメンテナンスよ、とのこと。
 苦節二日間、土壇場に大逆転のウルトラCとなった。この家にオファーを出す作業が残るだけとなった。ちょうどお昼どきだったので、マーサと別れて昼食をとることに。街中への道がわからないので、マーサの車の後をついていったつもりが、途中で他の車に間に入られ、信号待ちしているときに、他のよく似た車とマーサの車を取り違えてしまった。あれれ、といっている間に香港ブッフェという看板がトリケラの目に入った。値段も味も検討がつかないけれども、どうせ土地鑑がないからここでいいね、ということで入ってみた。
 おなかがすいていた子供たちは注文して待つ時間もなしに、おいしい中華料理が出てきたので大喜び。ティラノ、スコミムスは卵スープをおかわりした。わたしはカキがおいしくて満足。わたしのひざに乗ったグイは、何を食べたかは未確認だけれども、とにかくおとなしくお皿に集中していたので、きっとおなかいっぱい食べたのだろう。おかずは全部トリケラがとりにいってくれたので、わたしはデザートを担当した。日本人の好みと完全に一致はしないけれども、中国の人のつくるデザートはかなりおいしく食べられる。ムースとスポンジが層になったケーキやロールケーキ、それにフルーツを子供たちは喜んで食べた。グイも「あえ、あえ(あれ取って)」と興奮した。こんなに食べさせてもらって、支払いはいくらかなーと思ったら、あれ、大人一人$5.99だ。8歳の子は$3.50、5歳は$3.25くらいだったかしら。やっすーい!しかもセールスタックスがNYよりも安い。もう大満足。
 昼食後マーサのオフィスへ。マーサは開口一番に"Are we still excited about the house?"きっと「この家がいい!」って言った後に、時間が経って興奮がさめちゃうケースっていうのもよくあるんだろうな。わたしたちは、限られた物件の中で精一杯努力して探した上で、心理的にもかなりブルーな状態を乗り越えて見つけた、たった一つのお宝だったので、全然気持ちにかわりはなかった。オファーの金額だけが問題で、マーサに過去に近辺に売れた家の値段などを参考にして、言い値よりも$10,000安い値段でオファーすることにした。子供たちの通う小学校は、実はこの学区の中ではいいほうではないことを調査済み。児童数も学区の平均を超えているので、先生の目が行き届くかどうかという点で見劣りする。けれども全ての条件を100%満たすことはほとんと不可能だし、よい学区の中で一番いい学校でないからといって文句をいってはぜいたくか。学校から離れているのでスクールバスがきてくれるのは、朝の時間の負担が減ってうれしい。今はトリケラが眠い目をこすりながら子供たちを車で学校に送っているので大変なの。マーサにマップクエストで調べてもらったら、なんとデュークへの通勤時間は、今回検討したどの家よりも短かった。すばらしい。道順もかなり単純だ。
 書類仕事が終わったところで2時過ぎ。マーサは2時半に他の顧客との予約があるし、わたしたちもちょうど飛行場に向かわなくてはならない時間。ふー、最後の一日がこんなハッピーエンドになるとは思わなかった。
 ハッピーエンドとなると、結婚前のデートにはじまり、一定の周期で何か必ず大きなトラブルに遭遇し、ドタバタ劇を演じてきた私たち夫婦は、「この後、何か落とし穴があるに違いない」と思わずにはいられない。次の課題はどんな種類のローンを組むかになるけれども、ローンの承認がおりないというのが最初に考えられる大きなトラブル。もちろん今のところ問題ないはずだと思ってはいるけれども、そこは人生、何があるかわからない。時間が限られた中で家を探したから、気づいてみれば、これから買おうという家を一度しか訪問していない。住んでみたらいろいろ問題がでてくるかも。それとも近所の人がアヤシイとか?隣に住んでいる人が麻薬の売人だったり?(そういえば、新婚時代に住んだ家の隣人は、統合失調症かなにか、心の病気らしい人だった。「わたしの弟を牢屋から出さないでください」とかいう念仏が聞こえてきたりした。となりがしばらく空家だった後に私たちが入居して、私たちの生活の音やなにかが彼女を刺激したのだろうか、最後はパジャマ姿で近所の道路の真中にたたずんでいるところを、パトカーに乗せられてどこかへ行ってしまった。変な声が聞こえてくる以外はおとなしい女性だったので、わたしたちの存在が彼女に耐え切れないものだったのかもしれないと思うと申し訳なかった。)
 まあ、ともかく大冒険はひとまず終了。無事に地元に戻った頃にはもう夕食の時間。旅行中和食続きだったけれども、家に戻っても近所の和食レストランへ。ビールで乾杯した後に、韓国人の奥さんに”サンサチュン”はないかと尋ねたら、サンサチュンの他に、こんなのあるけどどう?と”ボッブジャ”というのを見せてくれた。ワインみたいなお酒で甘いのよ、というのでそれを頼んだ。返事をする前に顔に出たみたいで、奥さんにへへへーと笑われた。ラズベリーのジュースとジンを混ぜたみたいだった。おいしかった。
 思えば、三日前は大慌てで出発したので、火の元戸締りの点検はしていなかった。帰りの飛行機で、はたとドアが開けっ放しで(何しろ最後に家を出たのはトリケラだった)泥棒に入られたか、家が火事で焼けちゃったりしていないかと心配になったけれども、実際は台所の電気のつけっぱなしだけで済んだ。
 最後にミラクル大逆転になったのは、どう考えても普通ではなくて、まるで作り話のよう。空の上で見守ってくれている母が、相当力を貸してくれたのだろうと思い至って涙が出た。お香を焚き、テレビの上に乗っている母の遺影に手を合わせてからふとんに入った。
(おわり)




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