6/30のつづき(もう一ヶ月も経つのにまだ終わらないよ〜)

hiico2005-08-01

 寝たのが遅かったので、飛行機に間に合う時間に起きられなかったらどうしようかと心配したけれども、緊張しているので目覚ましがなる前に自然に目が覚めた。一人でシャワーを浴びて、ニューヨークで一日遊んでから深夜にニュージャージーに渡ってきた際のホコリと汗を流した。空港のベンチで一夜を明かしていたら、シャワーは浴びられなかったはずだから有難いこったね。
 子供たちも入浴させて、寝起きのわるいトリケラを起こして彼も浴室に追い立てた。8時45分にタクシーを呼んであるので、身支度が整った時点でもう時間のゆとりがなく、ゆっくり朝食をとることもできないのでつぶれたハンバーガーにかじりついた。空港につけば、まずいファストフードで空腹をまぎらすことくらいはできるだろう。
 ロビーに下りてタクシーを待つも、時間になってもなかなか到着しない。フロントに確認すると「ああ、9時になったらくるって言ってたわよ。」えー、勝手に時間をかえちゃうなんて、なんちゅうタクシーじゃ。まあ、時間に余裕を持っているので、そのために飛行機に乗り遅れるってことはないだろうけど。
 9時よりも前に来たタクシーが一台あり、「ケネディー空港へ行きたいのはあんたたち?」と聞かれた。うーん、現在位置を確認できていない状態なんだけど、ここはケネディにも近いような場所なんかいな?謎だ。9時になると、ちゃんとわたしたちが呼んだタクシーが来てくれた。ゆうべの運転手さんよりもふつうな感じの人だけど、請求されたのは45ドルだった。これって通行料が加算されているのかどうか記憶が定かじゃないけど、加算されていないとすると10ドルぼられたなー。ま、10ドルぼったくられても、飛行機がちゃんと飛んでローリー・ダーラム国際空港(RDU)にちゃんと昼までに着けば、それくらいは構わないわ。
 空港に到着してすぐセキュリティーのほうへどんどん進んだ。食べ物は最後までお預け。去年、ノースキャロライナに来たときは、離乳食のビンを10何個も持参していて、「かばんを開けて、中のジャーが何だか確認させろ」と言われた(冷凍した母乳などのビン状のものもひっかかるらしい。赤ちゃんの食事と爆発物を見分けることはできないのかしら?赤ちゃん背負っていて小回りが利かなくて大変なのに、赤ちゃん連れだと検査の標的になってしまうというのはとても不便だ)けれども、今年はグイも普通食。かばんを開けられるようなものは何も持っていないつもりだった。ところが、わたしの手荷物を開けなくてはならないという。職員の若い男性がわたしのかばんからとりだしたのは、なんと流産した双子の遺骨の入った骨壷だった。引越しの荷物で揺られるのはかわいそうだったので、かばんにいれて一緒に飛行機の乗せることにしていた。"Can I open it?"と彼が質問するのと同時に、わたしは"You're not going to open it, right?"と言っていた。相手が言葉を継ぐ前に"Those are ashes of my miscarried babies."と付け足した。いくらなんだって、そんなもの開けちゃあダメだよー。何しろ身も心もくたくただったから、遺骨を持ち歩いていることを咎められたような事態に、平常心が保てなかった。なみだが出てしまった。双子のことでこんなに心が動くことも久しぶりだ。
 係の男性もいやな役回りで気の毒なことだった。「骨壷が入った状態でかばんをX線で見ると、警告がでる。骨壷を除外すると警告が解除される。そうすると、どうしても骨壷をX線にかけないわけにはいかない」と説明された。どうぞ、開けたりしないのなら結構ですよ。もう一度X線をくぐって出てきたときには、骨壷はふつうにパソコン、ベルトから靴までのせる、いわば”きたない”トレーの上に、さらに、別に上等ではないけれども最大限の配慮をしてくれた結果として、白い丸いプラスチックのトレーに載せられていた。なんだかそのまま電子レンジでチンされてしまいそうな感じの白いトレーだったけれども、でもとにかくお心遣いありがとう。係の男性は"I'm sorry."と何度も言っていた。あの人だって、わたしたちがテロリストに見えるから、何度もX線にかけるってわけじゃないんだよね。
 そんなこんなで出発ゲート前に到着したころには、もう搭乗時間間近。トイレに特に注意を要するスコミムスを初め、みんなでお手洗いを済ませ、かろうじてコーヒーを一杯確保。天候が悪くて今日も飛行機が飛ばなかったらどうしようかと心配したけれども、そのシナリオはなかった。よかった。搭乗時間が予定よりも少し遅れたけれども、みんな無事に自分の席についた。あ〜、やれやれ。これで飛行時間1時間半、それに空港から新住所まで車で約30分。あと2時間ほどで”家(うち)”に到着するはずだ。日通には何とか連絡がついて、もともとの朝10時半の約束が変更になって午後1時くらいまで待たなくてはならなくなってしまったと伝えてある。申し訳ないけれども、何とか連絡だけでもついてよかった。
 飛行機の座席は、ティラノとスコミムスで一組、わたしとグイで一組、そしてトリケラは一人で窓際の席に座った。飛行機に乗ってしまった以上は、自分でできることは何もない。幸いグイが機嫌よく一人でおとなしくお菓子をたべたり歌を歌ったりして満足そうな様子なので、わたしはスカイ・モールのカタログをゆっくりじっくりと眺めた。新居にあったらよさそうなものが満載されていて、2度見直しても、まだ退屈しなかった。
 飛行機はなかなか離陸しないものだと思っているので、キャプテンが何度も「○○の事情で遅れていますが、あと5分で飛べるはずです」、「積荷のバランスが悪くて、地上のクルーが積荷を置き換えたりしているので時間がかかっています」、「前の飛行機がなかなか離陸できず、順番待ちをしています。15分後には飛べると思います」とアナウンスしていても、わたしは飛んでさえくれれば満足、とあまり気にならなかった。結局、たっぷり1時間は飛行機に缶詰になって、それから離陸した。
 もともとの約束が午前10時半だった引越し荷物の引き取り。予定を午後1時に変更させてもらって、実際に現地に到着したのは1時半だった。狭いとおりに大型トラックを(何の作業をするでもなく)3時間も余分に駐車させて待たなくてはならなかった引越しの作業員の人には、本当に申し訳ないことだった。でもリーダー格の中国系の男性がちょっといやそうな顔をしていたのをのぞいては、ほかのアフリカン・アメリカンの二人とわかい東洋系の青年は愛想よくしてくれて安心した。よかったー、”新しいお家”に着いたぞー。林の中に建つ別荘風、いいじゃん!
 トリケラがリュックサックに大事にしまっていた封筒から鍵を取り出して、いよいよ新居の玄関ドアをオープン。そして、そこにまたもやびっくりが!!
(つづく)
 




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